0を1にできる頭
どーも、なるほどマンです。
僕の好きな考え方というか、職場でのスタンスというか。
そんなお話です。
僕はアイデアを思いつく人のことを
「0を1にできる人」
と呼んだりします。
対するのは
「1を10にできる人」
アイデアを飛躍させる人です。
僕は完全に後者です。
音楽の世界では作詞・作曲・編曲という項目のクレジットを見たことがあると思います。
作詞・作曲はもちろん、詩を書き、メロディーを考える人です。
対して編曲は「曲の構成を考える人」なんです。
僕は長いこと音楽をやっていたので、作詞も作曲もしたことがありますが、とにかくセンスがないと自分で思っていました。だからいい曲を書くメンバーに恵まれていたと思います。みんなありがとう。
「じゃあお前は何をやってたんだ」ってわけですが、バンドで曲を作るとき、いろいろなつくり方があると思いますが、僕のやっていたバンドは大体こんな感じでした。
①作曲者がプロトタイプの新曲を考えてくる
②とりあえずみんなで合わせてみる。
③録音したものをみんなで聴いて「あーでもない、こーでもない」と話し合い
④曲がよくなるように色々調整してもう一度合わせる
自分で書いておいてなんですが、すごいざっくりしてる(笑)
他にも「詩の意味」とか「曲のテーマ」とか「どう感じてほしいか」などなど色々話あったりするんですが、大まかにはこんな感じでしたね。
完成するまで③④をひたすら繰り返すイメージです。
③④を繰り返していくうちに個々の主張がぶつかったり、作曲者の意図からずれていってしまったりなどなど、バンド内のパワーバランスも相まってなかなか「サクッと決まる」なんてことはないのが現実でしたが…。
僕は主に作曲者が作ってくれた曲を「どう魅せるか」を考えていました。
お客さんにどう感じてほしいかとか曲のピークに対して全体でどのようにアプローチしていくのかとか。
「自分はこうしたい」というよりかは「この曲はこうなってほしい」みたいな考え方。
一時期から僕はそんなスタンスでバンド活動をするようになり、それからすごく曲をつくりやすくなったと思います。
デザインの世界でも同じようなことはよくあります。
「斬新なアイデアが浮かぶ人」と「表現が上手な人」
もちろん、自分で考えたアイデアをうまく表現する人もいますがね。
(そんな人は天才ということで…)
デザインの仕事は一人で行うことはほぼありません。
チームを組んで役割を分担して作業を進めていくことがほとんどです。
「斬新なアイデアが浮かぶ人」と「表現が上手な人」がバランスよくいるチームが僕の考える最高のチームだと思います。
「0を1にする人」と「1を10にできる人」
僕は後者なので前者を大変尊敬していますが、「どちらが上」とかそんなことはないとも思っています。
0が1になり、
1を10にしてたら、
今度は10を11にしてくれるかもしれない。
その11が100になるかもしれない。
きっとお互いの相乗効果でアイデアは発展していくと思います。
自分はどちらのタイプなのか、チームのみんなはどっちのタイプなのか。
それが分かり合える人が集まると素晴らしいクリエイティブチームになるんじゃないだろうか。
うちの会社はまだまだです。
音楽遍歴まとめ
どーも、なるほどマンです。
音楽の話。
初めて買ったCDは中学校の頃、ラルクアンシエルの「True」でした。(中古)
僕の中学時代はビジュアル系バンド全盛期。
我が家では、姉はGLAYの追っかけ、母はB'zの追っかけ、妹はジャニーズ大好き、父は全く音楽を聴かない。
どんな家だよ、と自分でも思う。
ハマるととことん突き進んでしまう家系のようだ。(父を除く)
そんな一族の中で最後まで音楽にしがみついていた僕です。
そこで時代別、僕の好きなアーティストまとめ
中学時代
・GLAY
・B'z
・SADS
やはりビジュアル系全盛期って感じだったから、そのあたりを聴いてましたね。
ただ、B'zを聴いてバンドをやりたいと思った僕。ギターを買ってもらったけど初心者がいきなり弾けるわけないんですよ。しかもB'z。即刻挫折し、ギターは埃をかぶり始めましたとさ。
高校時代
・OFFSPRING
すごい色々聴いてたけど、今も聴くのはこんな感じ。
僕もバンドをやり始めましたが、当時はやっていたバンドではなくTHE BLUE HEARTS、THE HIGH-LOWSのコピーバンドをやっていました。当然、コピーバンドのライブとかでも浮きまくりだったのを覚えています。でもリンダリンダとか日曜日よりの使者とか名曲も多くて楽しかったなぁ。
この時期、初めて洋楽に手を出しました。
それがOFFSPRING。
初めてちゃんと聴いたのは「Conspiracy of One」
一曲目で度肝抜かれましたよ。
邦楽ロックにはない疾走感と何言ってるのかわからないけどキャッチーなメロディ。
音楽ってすごい、歌詞がわからなくてもこんなに伝わることがあるのだと。
高校時代はメロディアスなパンクが好きだったみたい。
メロコアってやつですね。(もう死語かも…)
大学時代
・Red Hot Chilippeppers
大学に入ってほとんど洋楽しか聴かなくなってました。
なかでもレッチリを見たときの衝撃を忘れません。
THE BLUE HEARTSが好きな理由に甲本ヒロトのライブパフォーマンスが好きというのが結構な割合を占めているのですが、レッチリのライブ映像を見たとき、「もっとやべえやついた!」というのが僕の感想。
僕はベーシストだったのでレッチリのベーシスト、フリーの全て憧れました。
曲も聴きまくって、コピーしまくって、ライブ映像も何度も見て。
今でも好きだけど、個人的にはジョン・フルシャンテとの演奏の掛け合いが好きだったのでStadium Arcadium以降は聴いていませんが…。
レッチリ以外だと、やっぱりBLANKEY JET CITY。
ベンジーが好きすぎてギター弾かないのにグレッチ買いそうだった程です。
歌、ギターリフ、歌詞など、どこをとってもベンジーの持つ圧倒的な世界感。
カリスマってこんな人のことをいうのだと崇拝に近い感情で今も聴いています。
ミクスチャー~スクリーモ初期ぐらいの時代だったのでそのあたりも結構聴いてたなぁ。
ただ僕は二番煎じまでしか受け入れられない体質のようで、好きなジャンルが流行りだしてもあまり広げていかないのです。
なので色々聴いているようで意外と聴いていないという謎現象が発生する。。
大学卒業後
・The Music
大学時代のUS大好きっこから一転、UK大好きっこに手のひら返し。
The Musicがとにかく好きで、自分のバンドでもそんな感じの曲をやっていました。
The Musicはサウンド的には結構USよりなイメージですが、僕はダンスビートが好きなんです。踊れるやつ。バンドサウンドじゃないゴリゴリのEDMとかも好きですし。
この時期は徐々にダンスビートを取り入れるバンドが増え始めた印象。(最近はそんなバンドばっかりですが…)
ダンスビートだけじゃなく、UK特有の閉まったビート感といえばいいのでしょうか、ビート感を意識したアンサンブルが好きだったので上記のようなバンドを好んで聴いていたわけです。
音楽の趣味があっちいったり、こっちいったりしてる僕ですが、昔すごい聴いてた曲を久しぶりに聴くとその時の感情が蘇ってくるのが音楽のいいところでもあったりする。
アニソンばっかり聴いてないでたまにはバンドサウンドを聴こうと思った。
っていう話。
文章を書くのは難しいです。。。
どーも、なるほどマンです。
ブログを初めて、ちょっとづつ更新していってますが、文章を書くって本当に難しい。
僕は学生時代、数学と物理が大好きな典型的な理系人間。
そして国語がとにかく苦手。
本を読むのも苦手で、買いはするが、最後まで読むのにかなり時間がかかる。読もうと思って買った本が部屋の片隅でタワーを形成していく日々。
ただ仕事柄、文章を書かなければならないことが多く、自分の文章力に幻滅する度に
「何とかしなければ!」
と思うだけ。
まぁ、三日坊主さんなんです。
でもデザインの仕事をしていると文章を書けて損をすることはない、むしろ得することの方が多いというのは肌で感じてますので、わかってるんです。やらなきゃいけないって。
このブログで少しでも向上していきたい。
そんな独り言。
東京って面白い
どーも、なるほどマンです。
だいぶ暖かくなってきたなぁとか思ってたらもうGWじゃないか。
そりゃそうだ。
さて、GWです。
旅行に行ったり、帰省したりと世間的には慌ただしい一週間になるのでしょう。
帰省ラッシュというのが本当に嫌いなので大型連休は極力帰りたくない。結果、帰省もせずに、のんびりと、ごろごろして、アニメ見て、お酒飲んで、友人と遊んで、グダグダするでしょう。
僕は二年前にひょんなことから東京に出てきた転勤組です。
それまでは地元に30年、根を張るように生きてきました。
バンドやってた頃も「東京なんてクソだ!」みたいなわけわからん思想のもと、田舎で張り切ってやってました。当時の自分に伝えたい、「東京、ホントいいとこ」
東京に来てあっという間に友人が増えたってのもありますが、そもそも魅力的な街だと思います。連休を使って遊びに来る人もいるでしょうし。
そんな30代東京デビューの僕が思う、田舎との違い。
1.とにかくなんでもある
ぶっちゃけこれが全てかもしれません。僕の地元はかの有名なP○RCOさんが撤退に追い込まれるような待ちです。駅前に広がる閑散としたシャッター街。まさに「THE 田舎」です。もちろん休日に買い物に行く場所は大型ショッピングモール。「そこに行けばなんでもある」というよりかは「他に何もない」という状況です。
東京に来て一番驚いたのは、都心では大型ショッピングモールなんて行かなくてもいいこと。路面店多いし、とにかく店が多い。買い物になると優柔不断な僕はどこで買っていいかわからずむしろ困ってるぐらい。
地方都市だと主要駅の周りに全てが集約されていることが多いですが、東京はそこが違う。主要駅の多さもありますが、駅ごとに特徴がしっかりある。
買い物に行く駅、飲みに行く駅、働きに行く駅、遊びに行く駅。
駅を出るとはっきりわかるぐらい違います。
地方ではせいぜい南口はオフィス街、北口は飲み屋街といった感じですが、駅単位で区別されているかのような東京は異常だと状況当時は感じました。買い物するにしても買うもの次第で行先が変わる、飲みに行くにしても予算次第で行先が変わる。僕は田舎者なので上京してからも限られたエリアでしか生活していませんが、「駅を使い分ける」という田舎暮らしでは到底身につかない技を東京人は駆使してるなぁと思います。
いつもと違う駅で降りて新しい発見。
なんて都会っぽい発想!
田舎じゃ田んぼしかなかったりしますからね。
でもそんな東京でも、新宿は別格。
僕は職場の都合、新宿駅周りをウロウロしていることが多いのですが、この駅は買い物するも良し、ご飯食べるのも良し、飲みに行くにも良し。さすがは世界一利用客が多い駅です。本当に何でもある、新宿に無いものって何だろう…山ぐらいしか思いつかない。
本当に何でもある街。
2.出会いの多さ
地元との大きな違いと感じた二つ目は友人のコミュニティ、友人のつながり方と言うといいのかな。
僕の地元は友人同士の小さなコミュニティがたくさん集まって大きなコミュニティを形成しているイメージ。だから大きなコミュニティで集まると趣味趣向の合わない人もいたりする。でもそんなつながりが面白い化学反応を起こすようなこともあるので別に悪いことではないと思うんです。
対して東京はコミュニティが多い。これは人口の問題もあるのだろうけど。僕個人で言うならば「音楽仲間」と「オタク仲間」と「仕事仲間」といった感じ。
主に休日遊ぶのは「音楽仲間」と「オタク仲間」なわけですが、どちらかにしかいない人もいればどっちにもいる人もいる。人数の集まる飲み会になると知らない人が普通にいたりする。これは僕が上京して間もないこともあると思っていましたが、そうでもないらしい。東京に長く住む友人も知らない人がいることは良くあるという。
「知らない人」が飲み会に紛れているって別に怖い話とかではなく、要は友達の友達。
地元でもこういった出会いはよくあるものでしたが、東京では特に多い気がする。
東京人は個々が色んなコミュニティを持っていて、それぞれが交じり合うところに新しいコミュニティに接する機会があり、出会いがある。出会いが連鎖的に起きて広がっていく感じが地元にいたころとは全然違うと感じています。
3.結局は東京から始まる
世間をにぎわす流行や新しい試みといった「最新」と呼ばれるものは結局のところ東京から始まることが多い。
僕が広告関係の仕事をしていることも関係するのだろうけど、常に最新を更新している街だと思う。
僕はアニメオタクなので秋葉原によく行きますが、東京に10年以上住んでいる友人は「秋葉原は変わった」といいます。「涼宮ハルヒの憂鬱」辺りからの深夜アニメブームで秋葉原はどんどん進化していったと。
「日本最大のオタク街 秋葉原」が進化していく過程で、多くのアニメのプロモーションが行われ、それを目で見て、肌で感じてきた人々の経験値は計り知れないものだと思う。この10年で「深夜アニメ」というものを「気持ち悪いオタクが見るアニメ」から「日本の文化」と言わせるまでに成長させてきたわけですから。
東京は新しい文化の発信地になる可能性が高い。
せっかく東京に来たのだから「新しい何か」が生まれ、動きだし、広がっていくのを見てみたい、体感してみたいと思う。
と、まぁこんな感じで東京は面白いとこ。
個人的には「なんでもある街」よりも「何かが起こる街」という点ですごく好きです。
ただ、何かを起こすには自分から行動していかなきゃいけないんですがね。
連休は北千住に飲みに行く予定。
行ったことないから楽しみです。
現在30代の人の経験値
僕は現在30代前半なのですが、ここ30年というのは世界的に見てもかなり激動だったのではないだろうか。
とか、スケールの大きいことを考えてみる。
(そんな日があってもいいじゃない)
色々な視点で大きな改革、発明があった期間だったとは思いますが、僕個人の視点で少し振り返ってみようかと。(主にゲームと携帯電話)
さかのぼって1990年ごろ。
27年前です。
なるほど、小学1年生。
ファミコンからスーパーファミコンになったぐらいの時期ですかね。
我が家にも遂に家庭用ゲーム機が上陸しました。
友達と家で遊ぶならスーパーファミコン。
外で遊ぶなら野球。
TVゲームも好きだったけど、外で遊ぶことの方が多かった記憶がある。学校から帰って近所の公園に行けば友達がみんないて、とりあえず暗くなるまで野球。なんて健康的なんだ…。親も暗くなると子供を迎えに来る。まだ遊びたいと駄々をこねながら強制帰宅させられていたことを覚えています。TVゲームも流行ってはいたけど、少人数でしか遊べないから外で遊ぶ、携帯電話も全然普及してなかった時代だから子どもを直接迎えに行く。今は小学生でもスマホを持つ時代なんて聞いたりしますが、僕は自分の小学生時代が好きです。
続いて2000年ごろ。
17年前。
なるほど、中学生。
中学生時代の記憶といえば携帯電話を初めて持ったこと。
親に頼み込んで買ってもらった記憶があります。姉は中学時代はポケベルでした。ただ、携帯電話を手に入れたものの、田舎過ぎて近所でも電波が入らない場所がちらほら、時代を感じます。
最初は電話以外の機能なんてほとんどなくて、メールも「携帯会社が違ったら送れない」なんてこと、しかも文字数制限が短すぎて長文は送れない。通話料もすごい高かったし、本当に緊急用の電話みたいな使い方でした。今考えるとよくそんなもの買ったなと思いますが、当時はそれが当たり前、むしろすごい便利と思われていたのだからすごい時代ですよ。
僕個人の見識ではゲーム史上、一番の名器ではないかと。
僕は当時すこぶる流行っていたファイナルファンタジーⅦをやるために買いました。
3Dマップ、3Dバトルシーン、ムービーシーン、全てが衝撃。
すげー!やべー!
とIQゼロ状態でプレイしてました。
(そういえばIQっていう名作ゲームもあったな)
ストーリー自体もすごい好きで極限までやりこんだ思い出。
やりこみすぎてラスボスどころかルビーウェポン、サファイアウェポンにすら楽勝だったセーブデータはまだ生き残っているのだろうか…。
このあたりからパソコン、インターネットがすごい勢いで普及していったのを覚えています。
我が家でもWindows95、Windows98と立て続けにパソコンを買いました。
父がパソコン好きだったこともあり、すごい早さでパソコンが増え、母や姉は掲示板やチャットで同じ趣味の友人と知り合ったりと気づいたらインターネットがある生活が当たり前のようになっていたからコワい。それまではどんな生活をしていたのか分からなくなるほどすごいスピードでインターネットは普及したと思う。
今、書いてみても1990代~2000代ってすごい時代だったと思う。
音楽機器でも、小学生のころはレンタルCDをカセットにダビングして聞いていたけど、中学生ではMD、高校時代はCD-Rに焼いてた。そして大学時代はiPod。今はスマホです。
親の世代ではレコード→カセット→CDみたいな感じだったのだろうか。
自分が40代になるころにはどうなっているのやら。
楽しみではあるが、コワさもあるなぁ。
アニメが好きです
どーも、なるほどです。
今回は趣味語りを。。。
僕はアニメを見るのが好きです。
「いい年してなにやってんだ」
という声が聞こえてきそうですが気にしない気にしない。
自分でもアニメオタクだなと自覚したのは5~6年前だろうか。
ただ見始めたのは10年以上前になります。
(ここでいうアニメとは深夜アニメのことを指します。)
長いこと色々と見続けているなぁと自分でも思いますし、なんでこんなに好きなんだろうとふと考えることもあります。
自分のアニメ遍歴を振り返りながら改めて考えてみたいと思います。
そもそも中学、高校の頃はゲームが好きでした。
スパロボ好きだった僕はロボットアニメには全く抵抗がありませんでした。ガンダムは当時から好きだったんですが「先人たちの圧力がすごい」というもはや風評被害のようなただのイメージで手を出せませんでした。そして大学時代、何を思ったのかガンダムSEEDを全話見ようと思いたったわけです。
この時の自分が何を考えていたのかさっぱりわかりません。(たぶん暇だったんでしょう)
そして、たった二日で全50話を全て見るという謎のポテンシャルを発揮。
ガンダムはそもそもが戦争の話なので人間ドラマというか、葛藤とか正義とは、みたいな話がすごく面白くて一気に見てしまったわけです。(SEEDが好きというとこれまた一年戦争を愛する先人の方々の圧力が怖いですがまあいいや)
そんなガンダムSEED一気見事件を当時のバンドメンバーであり、僕をこっちの世界に引きずり込んだ元凶であるNという男に話してしまった。
ここがきっとターニングポイントだったのでしょう。
その時、彼に「お前には才能がある」と厨二病みたいなことを言われたのを覚えています。アニメに限らず、どんなジャンルのオタクでも自分の中で楽しんで完結する人とインフルエンサーのように身近な人へ拡散させていく人の二種類がいると思っています。友人、恋人にも自分の好きなものを理解してほしい、一緒に楽しみたいという考えは非常にわかる。アニメでも音楽でもおいしいラーメンでも親しい人の共感が欲しいことはよくあります。
僕は彼にとって勧めやすい対象だったのでしょう。「無垢なオタク」ですから。
最初に勧められたのは「ひぐらしのなく頃に」でした。
ちょうどリアルタイムで「ひぐらしのなく頃に 解」が放送中の時期だったこともあり、「すぐに一期を見て追いつけ」という指令を授かった僕は言われるがままに見始めました。
ちなみに僕はホラーがダメ、グロイのにもあまり耐性のない人です。
そりゃもう衝撃でした。
こえーよ。
レナ、こえーよ。
可愛いと思ってた詩音も、こえーよ。
何より毎章最後の方はみんなブチぎれてて、悲惨な感じで誰か死んで…。
でも新章入ったらのほほん日常スタートとか深夜に一人で見るもんじゃねーわ。と震えながら見ていた記憶がある。
そもそも何も知らずに見たもんだからループしてることにも気づかないし、恐ろしくてそれどころじゃない。短編をつなぎ合わせたようなアニメなのだと勝手に理解してみてました。今でこそ、タイムリープものも珍しくないけど10年前はどうだったんだろうか。そもそも深夜アニメ童貞を捨てたばかりの僕には全く想像できなかった。
一期を最後まで見終わった感想は
「え?どうゆうこと?」
でした。
すぐさま仕掛け人:Nを問いただしたところ、素晴らしい返事が返ってきた。
「今、解答編が放送中だからそれをみればお前にもわかる」
なんだと!?、見よう!!
と僕が反応したのは言うまでもない。
今思えば当時の僕はNに完全に手玉に取られてますね。
そしてズブズブと深夜アニメの世界へ引きずり込まれていったわけです。
ただ、この10年のアニメとリアルタイムで触れ合えたのは僕個人としてはいい経験だと思っていたりする。急激に成長していくアニメマーケットを体感できたわけですから。
さて、今期もアニメを見ようじゃないか。
商業デザイナーとは
どーも、なるほどマンです。
ひとまず三日坊主を突破できそうで何より。
書きたいことがあるうちにいっぱい書いておこうの精神。
さて、今回はまたまた仕事の話。
職業:デザインディレクターの僕ですが、同級生に「デザインの仕事してる」って話をすると皆さん勝手に想像して「かっこいい」とか思ってくれちゃうわけです。無知って怖い。。。
そんなわけで、今回は商業デザインの現場のお話を。
デザインの仕事をしたいと考えている人に是非伝えたいお話です、特に学生の皆さんに!!
※僕の個人的な考えなども入ってきますのであくまでも参考程度に読んでください。
プロフィールにも書いてありますが、僕は商業デザインの仕事をしています。
商業デザインとは。
ようは製品を売るためのデザイン、広告です。
日常生活の色んな場所で広告を目にする機会があると思います。
テレビCM、WEBサイトのバナー、電車の吊り広告、街中のポスターなどなど
僕はその中でも主に紙媒体の広告をつくっています。
みなさんも広告を見て「面白いな」「かっこいいな」って思った経験が今までにあると思います。ですが、僕が作っているのはそんな広告ではありません。
皆さんの記憶に残らないような「風景」になってしまっている広告が大半です。
僕はよく「アートデザイン」と「商業デザイン」という言い方をします。
「アートデザイン」
いうまでもなく芸術です。自分の「良い」と思うものをとことん突き詰めて制作するアーティストの方々がつくりだすデザイン。
では、商業デザインとは?
ターゲットに対して伝えたいことを確実に伝えるのが目的です。目的を損なうようなこだわりははっきり言ってしまえばジャマです。クライアントの要望ですら時には目的にそぐわないことがあるくらいですから…。デザイナーは自分のこだわりよりも制作を進めていくうえで道を違わないようにすることが一番大切と思っています。
商業デザインとは商品を売るためにPOPやチラシの制作がほとんどですが、「面白いものをつくろう」「かっこいいものをつくろう」という考えではほとんどの場合、仕事がうまく進みません。
それはなぜか。
「面白い」「かっこいい」という感覚は正解がありません。正解のないゴールに向かって進んでいくことになります。これが「アートデザイン」なら自分の感覚がゴールとなるわけですが、商業デザインはそうはいきません。では、ゴールはどこにあるのか。
それはクライアントにとっての「面白い」「かっこいい」がゴールになります。
自分とクライアントの感覚が一致していれば何の問題もないのですが、ここがなかなか難しい。むしろそんなクライアントは稀です。また、担当者同士で「面白い」「かっこいい」ものができたとして、そのデザインの良さはクライアント側の決裁者に伝わるでしょうか?まず、伝わらないでしょう。
商業デザインは「目的」と「理由」が必須です。なんとなくかっこいいから、面白いからは通用しません。「目的」に沿った内容で、こういったデザインになった「理由」をクライアントにプレゼン、納得してもらわなければなりません。プロジェクトにかかわっている人が多いほど、目的ぶれないように、より多くの人が納得してくれる「理由」をもって制作しなければなりません。そうして完成したデザインが結果として「面白い」「かっこいい」ものになることがあると僕は考えています。
自分が「面白い」「かっこいい」と感じた広告のようなデザインをつくりたい!
と意気込んでこの世界に入ってきた人はまず、ここが最初の壁になると思っています。
「自分はかっこいいと思うのになんでわかってもらえないんだろうか、このクライアントはセンスが悪い」
「先輩から修正をされたが、自分がつくったものよりかっこ悪くなった
なんて思うこともあるでしょう。
でもそれは数あるデザイン会社の一、商業デザイナーの感覚です。
自分の感覚を受け入れてほしいならアートデザイナーになった方がいい。
商業デザインは「生み出したデザイン」ではなくて「導くデザイン」が必要です。
デザイン会社もたくさんあります。
会社ごとで制作するジャンル、媒体などはさまざま。
「自分がやりたいことをやれないから」
そんな理由で辞めていく人はたくさんいます。
次の会社で長く続いてる人もいるでしょう、色んなデザイン会社を転々としている人もいるでしょう。
そうなる前に、デザイン業界で働く前に、
自分がなりたいのは「アートデザイナー」か「商業デザイナー」か。
一度考えてみてはいかがでしょうか。
きっとやるべきことが見えてくると思います。